『Over The Rainbow』に命の大切さを思う
筆者には愛してやまないジュブナイル(少年少女向け小説)が2冊ある。
1冊はイギリスで生を受けたMarie Louise de la Ramee(マリー・ルイス・ド・ラ・ラメー。筆名ウィーダ)が著した『フランダースの犬』。
もう1冊がニューヨークで産まれ育ったBAUM,LYMAN FRANK(ライマン・フランク・ボーム)が綴った『THE WIZARD OF OZ(ザ・ウィザード・オブ・オズ=オズの魔法使い)』である。
ヨーロッパで育まれたジュブナイルや童話がどこか教訓めいているのに対し、『THE WIZARD OF OZ』はボーム自身、「心痛と悪夢を取り去った現代版おとぎばなし」と評しているとおり、娯楽性の高い作品となっている。映画やミュージカルで観たことのある人も多いことだろう。
カンザスに住む主人公の少女ドロシーはある日、竜巻に飲み込まれ、オズの国へと迷い込んでしまう。
そこで脳みそ(知恵)の無い案山子、ブリキで出来ているために心(愛)を持たない樵(きこり)、臆病で勇気の無いライオンと出会い、どんな願いをも適えてくれるという魔法使いが住むエメラルドの都へと向かう。
エメラルドの都で魔法使いに会い、願いを適えるための難題を言い渡されたドロシーたちは数々の困難に見舞われながらも、難題をクリアーし、最も難関と思われていた西の悪い魔法使いをも倒し、エメラルドの都へと戻る。
しかし、エメラルドの都に住む魔法使いは実は人間界から気球で飛ばされてきた偽の魔法使いであり、願いを適えてもらえないことを知ったドロシーたちは途方に暮れる。
そんなドロシーたちに偽魔法使は「お前たちはもう知恵も愛も勇気も持っているではないか」と告げる。
難題を克服していく旅の途中で、案山子は無いはずの知恵でみんなを助け、心を持たなかったブリキの樵は優しさで仲間を包み、ライオンはドロシーたちを助けるために勇気を振り絞り、敵に立ち向かっていたのである。
そう。魔法では手に入れたかった物を自分たちが歩いてきた途上で全て手に入れていたのだ。
その後、ドロシーも魔法の靴を手に入れ、無事ふるさとであるカンザスへと戻る。
『OVER THE RAINBOW』は、その『THE WIZARD OF OZ』が最初に映画化された際の主題歌なのだが、この曲を聴く度に思い出すTVドラマの1シーンがある。
シカゴの救急病棟を舞台にした『er(Emergency Room)』の第8シーズン。主人公の1人マーク・グリーン医師が逝去するシーンだ。
脳腫瘍が再発したためERを退職したマークは、非行の道に陥りかけていた、別れた妻との間にできた娘レイチェルと共にハワイで過ごし、生命や生きることの大切さを説いた後、眠るように逝く。
そのシーンのBGMとして流れていたのが『OVER THE RAINBOW』で、恥ずかしながら筆者はこの曲を聴く度に、自分の命が尽きることを分かっていながらも生命の大切さを説いたマークの姿を思い出し、涙してしまう。
『THE WIZARD OF OZ』でボームがしたため、『er』でマークが語ったとおり、産まれてきた命には、どのような命であれ、果てしのない希(ねが)いと、ほのかでも絶えることのない夢が包まれている。もちろん、1つとして無駄な命などない。
人が人に対して唯一でき得ることがあるとすれば、それは奪うことでも、裁くことでもなく、救うことだ、と筆者は信じている。
切なる祈りをこめて……。