祝福された死、を描く
- M,AIHARA
- 2017年10月10日
- 読了時間: 3分

小津調と呼ばれる手法を駆使して、独自の世界観を描き、『麦秋』『東京物語』などで世界的にも評価が高い故小津安二郎。日本人として初めてアカデミー賞名誉賞を授与された故黒澤明、フランス文化勲章の1つであるコマンドゥール賞を受賞した北野武など、ここ日本にも名監督が存在している。
そんな中ににあって、現役の映画監督として北野武と並び、筆者が敬愛してやまないのが園子温(そのしおん)である。
2011年以降はメジャー映画会社とも連携し『愛のむきだし』をはじめ、『冷たい熱帯魚』『ヒミズ』などのヒット作や話題作の監督を務めているほか、テレビ朝日系列の深夜ドラマ『時効警察』『帰ってきた時効警察』でも脚本、演出を手掛けるなど、活動の幅を広げている。
だが、「園の本質を表す代表作をあげろ」と問われれば、筆者は02年に新宿武蔵野館における過去最高観客動員数を記録した『自殺サークル』と、その続編ともいえる、06年に第40回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭特別表彰&国際シネマクラブ連盟ドンキホーテ賞を受賞した『紀子の食卓』と迷うことなく答えるだろう。
とくに制服を着た女子高生たちが手をつないだまま、地下鉄に飛び込み集団自殺する『自殺サークル』の冒頭シーンは、何度観ても、今後展開されるシーンへの期待感を覚えてしまう。
「集団自殺シーンを観て期待感を覚える」などと書くと、「不謹慎な」などと反論をされるかもしれないが、そんな反論を展開する人に限って、想像力が欠如しているこというまでもない。
このような反論をする人たちの多くは、現実の醜いばかりの犯罪と素晴らしい世界観が展開されるフィクションとの区別もつかないまま、使い古された『道徳観』なる独善的な主張を掲げるしか術を持たない人たちといえるだろう。
飛び散る肉片、凄まじいほどの血しぶき、画面を染めていく、鮮血というよりは少し淀んだ赤、赤、赤……。冒頭のシーンには、「いかに美しく、いかに残酷に死を描けるか」という園監督の熱意が込められている。つまり、エンターテイメントとしての死であり、それを現実に結びつけることなどに何の意味もない。
テレビなどに出てくる有識者(自分自身を売り込むための人脈や保身のための知識は豊富に有しているのだろうが)を気取ったコメンテイターは児童犯罪が起こると、スプラッター映画はもちろん、過激な内容を盛り込んだコミックやゲームなどを批判しては悦に入っているが、前述したとおり、彼ら、彼女たちは想像力を持たない人たちの代表といえるだろう。
もちろん、筆者も現実に起こる卑劣な犯罪やテロなどは決して許されない行為と考えている。
そもそも映画や小説で描かれる死は、現実世界で起こる死とは全く異なるものであり、監督をはじめとするスタッフたちが精根込めて作り上げた、いわば祝福された死なのである。
それらのことを踏まえた上で、園監督はときに残虐とも観られる死のシーンを撮っているはずである。
結婚以降、すべての作品に妻となった神楽坂恵を出演させており14年07月のインタビューでは、「奥さんのラブシーンを撮る時の心境について」という問いに対し、「『地獄でなぜ悪い』を撮ったとき、撮影のときは良かったのですが、編集のときにアカンくなってきて」と答えるなど、夫としての、人並みな心情も吐露しているが、17歳のときには詩人として『現代詩手帖』や『ユリイカ』などに投稿し、「ジーパンを履いた朔太郎」とまで評された園監督だけに、このまま丸くなってしまうことはないだろう。今後も問題作を発表してもらいたいものである。